My Body
最近、思いを巡らすきっかけとなる作品にであった。
Twitterで偶然目にしたツイートだったが、胸に迫るものがあり
元気がでないときとかによく思い起こしている。
ワダシノブ@書籍「いいかげんなイタリア生活」 on Twitter: "水着を着れるようになったはなし https://t.co/o9yPVcQZga" / Twitter
昔、自分の肌を見せる=誰かの視界に入ったら気分を害させる、迷惑をかけると本気で思っていて。それを「自意識過剰」で片付けられときめちゃくちゃ傷ついた。
「(そんななりで)自分のこと見られてると思ってるの?笑」
違う違う、そうじゃないのに
でも結局は、容姿に関することで何かを言われてしにたくなっても、私は痩せる努力をしなかった。食べることが好きだったし、運動はあまり得意ではなくて、何より毎日息をするのがやっとで。悲しさをエネルギーに変えてダイエットできたらどんなに良いだろうと思いながら、ベッドで布団被って泣いてた。
悪口言われたり、からかわれたくないなら痩せればいいのに、ここまで言われても痩せれない私が悪いんだって思ってた。
社会に出て働き始めたら、やつれて服のサイズが全部変わった。
この間小学生ぶりに、ノースリーブで外に出てみた。ドキドキして、何かものすごく可笑しなことをしているのかもしれないと思って、ちょっとだけ怖かった。
連休明けの夕方だし、人通りの少ない道だしと言い聞かせて、思い切って自転車を漕いだ。風が気持ちよくて、物凄い自由を感じて、なんだか笑ってしまった。
自分の好きな格好、したかった格好が少しずつできるようになって思う。
23年間で染み付いてしまった価値観を矯正するのは本当に難しいのだけど、私の身体について、誰にどう思われようとどうだっていい事を、できるだけ忘れないでいよう。
私はたまたま"痩せる"ことでそう思えるようになったけど、そもそも論として、私の二の腕を見て、誰かに「あんなぶっとい腕よく出せるよな」「たくましくて草」「よく恥ずかしくないよな」と思われたとしても、それが事実でも。
私の身体は私の物であって、『誰かに認められなくていい』
あと2日でもう1つ年を重ねる。
映画『グレイテストショーマン』に登場する楽曲 ”This is me”
大学2年のとき、劇場でぼろ泣きしながら観た。
今でも忘れられない1番好きなところは
”I’m not scared to be seen. I make no apologies."
見られても恐くない。謝る必要もない。
24歳はThis is meeeeeee:)精神を諦めずに生きていきたいな。